新型コロナウイルスの感染再拡大を受けて、「緊急事態宣言」の対象地域に埼玉・千葉・神奈川の首都圏3県と大阪を加えることが、政府の新型コロナウイルス感染症対策本部で決定された。
期限は月2日から31日までで、すでに発出されている東京と沖縄も期限を延長する。
また、北海道、石川、京都、兵庫、福岡の5道府県に「まん延防止等重点措置」を適用することも決定された。きげんは同じくが津2日から31日まで。
アベマ TIMES
2021年07月28日
若者「感染の恐怖感なくなってきている」…都心の人出、30歳以下が7割
新型コロナウイルスの新規感染者が27日、過去最多の2848人に達した東京都では、若い世代の感染拡大が鮮明になっている。最近1週間の感染者に占める30歳代以下の割合は約7割。感染者の要因とみられる人出も多くを若い世代が占めており、都は危機感を募らせる。
「緊急事態宣言は4回目。慣れてしまって、感染する恐怖感もなくなってきている」。27日午後6時ごろ、東京・渋谷のスクランブル交差点前で、足立区に住む男子大学生(21)はこう話し、友人と飲食店に向かった。
渋谷センター街では渋谷区が「20代、30代に感染者が増えています」などとアナ雲氏を流しているが、若門おらによる混雑は夜になっても続いた。友人と居酒屋で酒を飲んだ女子学生(20)は「若者は重症化する人が少ない。男友達も感染したが、席など軽い症状だった。自分も大丈夫だと思っている」と話した。
東京都の最近1週間(21〜27日)の感染者は20歳代が34%で最も多く、次いで30歳代が21%だった。10歳代は9%で、30歳代以下が全体の約7割を占めた。高齢者が大半だった冬の第3波と異なり、明らかに若者の感染が増えている。
読売新聞
「緊急事態宣言は4回目。慣れてしまって、感染する恐怖感もなくなってきている」。27日午後6時ごろ、東京・渋谷のスクランブル交差点前で、足立区に住む男子大学生(21)はこう話し、友人と飲食店に向かった。
渋谷センター街では渋谷区が「20代、30代に感染者が増えています」などとアナ雲氏を流しているが、若門おらによる混雑は夜になっても続いた。友人と居酒屋で酒を飲んだ女子学生(20)は「若者は重症化する人が少ない。男友達も感染したが、席など軽い症状だった。自分も大丈夫だと思っている」と話した。
東京都の最近1週間(21〜27日)の感染者は20歳代が34%で最も多く、次いで30歳代が21%だった。10歳代は9%で、30歳代以下が全体の約7割を占めた。高齢者が大半だった冬の第3波と異なり、明らかに若者の感染が増えている。
読売新聞
2021年07月27日
三咲・五香・六実 新京成と東武野田線に「数字の付く駅」がやたら多いワケ
千葉県北部の鉄道路線図を見ていると、新京成線には二和向台、三咲、五香、八柱が、東武野田線には豊四季、六実、七里、七光台といった、漢数字が含まれる駅名が目につきます。どのような背景があるのでしょうか。
これらのうちいくつかは密接な関係があります。というのも、明治期にこの地域が開墾された際、新たな土地の地名には、入植が計画された順番に数字を割り振ったからです。開墾対象は江戸時代に軍馬を放牧していた「小金牧」の区域が中心となりました。現在の松戸市にはかつて水戸街道の小金宿があり、市内の地名と常磐線の北小金駅にその名残りがあります。
さて、最初に開墾された土地には「初富」と名付けられました。これもやはり新京成の初富・北初富の2駅に採用されています。以後、二和→三咲→豊四季→五香→六実→七栄→八街→九美上→十倉→十余一→十余二→十余三と続きます。JR総武本線の駅もある、少し離れた「八街」の地名もやはりこの開墾順に則っていたのです。
十倉は富里市内にある地区ですが、1940年(昭和15年)までは、三里塚〜八街間を運航していた成田鉄道谷地又線の途中駅として、十倉駅が設置されていました。
ちなみに八柱と七里は、8つと7つの集落がそれぞれ合わさってできた村という由来になっています。七光台の「七」は千五の開墾に携わった組織名の「七福開拓組合」が由来といわれています。
そういえば、西原地区は以前、「十余二」と言っていましたし、西原1丁目の流山市との境には今でも「野馬土手」が数百メートルにわたって残っていますね。
乗り物ニュース
これらのうちいくつかは密接な関係があります。というのも、明治期にこの地域が開墾された際、新たな土地の地名には、入植が計画された順番に数字を割り振ったからです。開墾対象は江戸時代に軍馬を放牧していた「小金牧」の区域が中心となりました。現在の松戸市にはかつて水戸街道の小金宿があり、市内の地名と常磐線の北小金駅にその名残りがあります。
さて、最初に開墾された土地には「初富」と名付けられました。これもやはり新京成の初富・北初富の2駅に採用されています。以後、二和→三咲→豊四季→五香→六実→七栄→八街→九美上→十倉→十余一→十余二→十余三と続きます。JR総武本線の駅もある、少し離れた「八街」の地名もやはりこの開墾順に則っていたのです。
十倉は富里市内にある地区ですが、1940年(昭和15年)までは、三里塚〜八街間を運航していた成田鉄道谷地又線の途中駅として、十倉駅が設置されていました。
ちなみに八柱と七里は、8つと7つの集落がそれぞれ合わさってできた村という由来になっています。七光台の「七」は千五の開墾に携わった組織名の「七福開拓組合」が由来といわれています。
そういえば、西原地区は以前、「十余二」と言っていましたし、西原1丁目の流山市との境には今でも「野馬土手」が数百メートルにわたって残っていますね。
乗り物ニュース