フォークから出発し、ロック、ポップス、シャンソンと幅広いジャンルをたどる中で、「昴」「群青」「いい日旅立ち」など、一時のヒットにとどまらず、国境や時代を超えて老若男女に愛されるスタンダードナンバーを多数残した。壮大なスケールの曲から故郷の原風景や旅情を歌う曲まで作風はさまざまだったが、音楽人生で一貫して大切にしていたのはさまざまな形の愛を歌うラブソングだった。
音楽の原点は青春時代のコンプレックスという。書籍「わたしの失敗U」によると、小学校3年生までは成績優秀、運動も得意で、同級生の間で人気者だった。しかし次第に体重が増加。中学時代、「楽器が弾けたら女の子にもてるかも」とギターを手にしたのがすべての始まりだった。
1972年のデビュー当時、フォーク界を席巻していたのは岡林信康さんや吉田拓郎さん。彼らが先鋭的な若者の文化や社会への批判を歌って大衆の熱狂的支持をつかむ中、谷村さんは最初からラブソングを歌った。
デビュー曲「走っておいで恋人よ」も「軟弱だ」などと評された。だが、音楽評論家の富澤一誠さんによると、「その後も故郷への愛をうたった『サライ』や、旅を愛する心情が投影された『三都物語』に代表されるように、男女間に限らず、人間、四季、地球などさまざまに形を変えながら愛を表現した」と言う。
谷村さんの愛は周囲の人々への配慮にも表れていた。自身がホスト役を務めた音楽テレビ番組では、毎回ゲストを招いてデュエットしたが、「相手にキーを合わせるなど、いつも最大限の心配りをしていた」と番組関係者は証言する。
また、2007年から毎日新聞の小児がん征圧キャンペーン「生きる」にも共鳴し、長年出演を続けた。参加動機について、当時インタビューで「私の大切な音楽仲間、森山(良子)さんが始められたと知りとても感動しました。病気と闘う子供たちや支えていらっしゃる人たちへの応援として『歌』がお役に立つことは、我々音楽人にとって何よりの喜びです」と語っていた。中国など諸外国のアーティストとの交流もライフワークにしており、「生きる」には自身のが亡くなる前年まで出演。最後まで心に愛をたたえた音楽家だった。
毎日新聞
2023年10月17日
谷村新司さんの愛称「チンペイ」の由来に2つの説
「冬の稲妻」「チャンピオン」などで知られる3人組グループ、アリスのメンバーで、「昴」「サライ」など歌謡史に残る数々の名曲を生んだシンガー・ソングライターの谷村新司さんが8日、死去した。74歳だった。谷村さんはチンペイの愛称で親しまれていた。
このニックネームは友人が命名。レコード会社関係者によると
〈1〉学生時代、サングラスをかけた姿が評論家・野末陳平さんに似ていた
〈2〉シンジからチンジ、チンペイへと変化した
の2つの説がある。
堀内さんの「ベーヤン」は、堀の字つながりの赤穂浪士・堀部安兵衛から。矢沢の「キンちゃん」は、顔が落語家の柳家金語楼に似ていたからという。
スポーツ報知
このニックネームは友人が命名。レコード会社関係者によると
〈1〉学生時代、サングラスをかけた姿が評論家・野末陳平さんに似ていた
〈2〉シンジからチンジ、チンペイへと変化した
の2つの説がある。
堀内さんの「ベーヤン」は、堀の字つながりの赤穂浪士・堀部安兵衛から。矢沢の「キンちゃん」は、顔が落語家の柳家金語楼に似ていたからという。
スポーツ報知