2021年07月27日

三咲・五香・六実 新京成と東武野田線に「数字の付く駅」がやたら多いワケ

 千葉県北部の鉄道路線図を見ていると、新京成線には二和向台、三咲、五香、八柱が、東武野田線には豊四季、六実、七里、七光台といった、漢数字が含まれる駅名が目につきます。どのような背景があるのでしょうか。

 これらのうちいくつかは密接な関係があります。というのも、明治期にこの地域が開墾された際、新たな土地の地名には、入植が計画された順番に数字を割り振ったからです。開墾対象は江戸時代に軍馬を放牧していた「小金牧」の区域が中心となりました。現在の松戸市にはかつて水戸街道の小金宿があり、市内の地名と常磐線の北小金駅にその名残りがあります。

 さて、最初に開墾された土地には「初富」と名付けられました。これもやはり新京成の初富・北初富の2駅に採用されています。以後、二和→三咲→豊四季→五香→六実→七栄→八街→九美上→十倉→十余一→十余二→十余三と続きます。JR総武本線の駅もある、少し離れた「八街」の地名もやはりこの開墾順に則っていたのです。

 十倉は富里市内にある地区ですが、1940年(昭和15年)までは、三里塚〜八街間を運航していた成田鉄道谷地又線の途中駅として、十倉駅が設置されていました。

 ちなみに八柱と七里は、8つと7つの集落がそれぞれ合わさってできた村という由来になっています。七光台の「七」は千五の開墾に携わった組織名の「七福開拓組合」が由来といわれています。

 そういえば、西原地区は以前、「十余二」と言っていましたし、西原1丁目の流山市との境には今でも「野馬土手」が数百メートルにわたって残っていますね。
                           乗り物ニュース
posted by 鏑木歯科 at 11:31| 鏑木歯科日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする